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MGAスタッフブログ - マックグラフィックアーツスタッフの不定期ブログ

つげ忠男の世界 その暗さとささくれた風景と

サブカルは好きだけどサブカルって言葉は好じゃないデザイナーの市川です。
僕の敬愛するマンガ家第3弾(後付け命名)は「つげ忠男」。

「昭和ご詠歌」1969年

つげ義春の4歳下の実弟であるが知名度はほとんどないと思う。主に執筆していた時期は1969〜70年代中頃までの月刊『ガロ』と84〜87年の季刊『ばく』、そしてこれは読んだことはないのだけど1996〜2000年に連載されていた釣り漫画誌くらい。そして、ほとんどの単行本は1000部以下の限定版か発行後数年で絶版になってしまうのだ。(それに単行本1冊2000円位するし)
こんな具合だから人気がある作者とは言えないが、だからと言って質が低いわけではない。
つげ忠男本人は“受けない”理由をこう分析している。

わたしの描く漫画というのは、とにかく“暗い”のだそうである。人からよくそういわれるので、時々昔のを取り出し読みかえしてみることもあるが、それ程とは思えない。むしろ暗いの明るいのというよりなにより、漫画としては、極一般的な意味での“面白味”に乏しい点が気に掛かる。話を面白く読ませる技巧がまるで無いのである。“面白味”というのが、即“笑い”である筈はないが、わたしの漫画は読者の微苦笑すら誘えないとしたら少し淋しい。

単行本『無頼平野』(ワイズ出版/1994年)あとがき

確かに兄・義春のマンガと比べても“面白味”は少ない。そして“暗さ”は兄以上だろう。
単行本『きなこ屋のばあさん』(晶文社/1985年/絶版)で兄・義春は『つげ忠男の暗さ』というあとがきを書いている。

僕はつげ忠男の“暗さ”は“重み”だと思っている。その“重み”がストレートに来るのだから、やはり一般受けはしないだろう。
特に70年代中頃まで『ガロ』で発表された作品は圧倒的な凄みがある。時代背景は戦後から60年安保闘争を経て70年代初頭頃まで。(当時であれば遠くない過去である)
マンガの中で登場するのは、無頼漢、風来、与太、チンピラ、ドヤ街、売血、暴力、喧嘩…等々、社会の底辺を生きる人々を描いたものが多い。

「屑の市」1972年

僕の中で特に印象が残る作品は『屑の市』である。売血する人々、血液銀行を舞台にした短編。
この血液銀行とは今の愛の献血とは違って、1960年代末頃までは民間の会社が(当時)1本200ccの血液を400円で一般人(主に低所得者)から買っていたいたのだ。
他の作品でも幾度か血液銀行が出てくるが、それはつげ忠男が血液銀行で働いていたからである。葛飾区立石で生まれ中学を卒業すると家から歩いてすぐという理由で製薬会社に就職するのだが、実はそこは血液銀行だったのだ。そこでいろんなものを見てきたのであろう。病院から送られてきた胎盤を刻むというやるせなくなるような仕事もしていたらしい。

このような感じなので、作品の読後感はやくざ映画、チンピラ映画(ちゃんと観たことないけど)のラストにあるような爽快感はなく、やるせなさや虚無感を感じることが多いのは、特に好き嫌いがわかれるところか。また、『ガロ』掲載初期は、ペンのタッチが兄・義春に似ているところがあったのだが、途中から、無頼ものを描くようになってくるとラフな感じになってくる。これも好き嫌いが分かれるところか。
その流れの中でも共通するのはコマ絵の背景に斜線が多いことだ。しかも器用な斜線ではなく、短い斜線を継ぎ足した不器用な斜線。しかし、それがコマ絵に「ささくれた風景」感を醸し出し、僕には印象に残る絵になっているのだ。

「リュウの帰る日」1973年

最初に書いたように、『ガロ』時代のつげ忠男の作品はあまり見る機会がないが、公式サイト『つげ忠男劇場』があるので、そこで少しのマンガやエッセイを見ることはできる。ただ、マンガは上記のような無頼ものや売血ものではないので悪しからず…。
エッセイは兄弟の生い立ちや境遇を知ることができる。

つげ義春がつげ忠男のことを書いたエッセイ:つげ忠男の不運
つげ忠男がつげ義春のことを書いたエッセイ:つげ義春・むかし、むかし・・・・・・